旅の余白

ペンタクルの十を思わせる光景のなか、ちょうど十枚のペンタクルが道頓堀の商店街へ続く門の上に並んでいる。手前には年配の日本人女性教師が二匹の犬と座り、成人した東アジア系の語学学習者が教科書を抱えて屋台の店員と話し、その後ろには成人男女の二人連れと子ども、途切れることのない人波が続いている

言葉を学ぶ。10月13日

1,500円の和牛串と道頓堀の人波から、授業では扱われない『みんなの日本語』のページまで。語学学校の価値は、教科書の内容にあるのか、日常のインプットにあるのか、それとも自分を外へ連れ出して口を開く機会にあるのか。私はまだ、その答えを量っている。

毎日、気分日記を書くのも、かなり大変なことだな~~

昨日もまた寝るのが遅くなり、起きた時にはまたもや自分がまるで歩く屍のように感じられた。朝食を食べて部屋へ戻り、本当は少し日本語を復習するつもりだったけれど、頭があまりにも混沌としていて、ほとんど効果がなかった。

このまま毎日大量に髪が抜けていたら、本当にすぐ禿げてしまうのではないかと、とても心配になる。さらに、蛋白質の摂取不足が抜け毛を悪化させているのではないかとも、つい考えてしまう。

そこで今日の授業が終わったあと、私はぶらぶらと道頓堀まで歩き、途中で1,500円の和牛串を一本買って食べてみた。

本当においしかった。ただ、ほかの価格帯の和牛と食べ比べたわけではないので、良し悪しはわからない。

道頓堀のこの辺りへ最後に来たのは、たぶん三年前だった。ただ、その時は仕事があったので、きちんと街を見て回ることはなかった。

今日こうして歩きながら見てみると、思わず気づいた。わあ~、この辺りの店は、ずいぶん新しい店に入れ替わっていない?

とりわけ広い一帯がドラッグストアになっていて、ドン・キホーテもこんなに何店舗もあった覚えがない。

商店街は一本の先にまた一本と果てしなく続き、観光客も次から次へと波のように押し寄せ、道沿いの店も川を渡る鮒の群れのように数え切れないほど並んでいる。

これほどの密度は、一定の人口と人の流れに支えられていなければ、到底回っていかない。

観光客が絶えず訪れるからこそ、ブランドとしての日本が持つ商業的な集客力は、本当に目を見張るものがある。

語学学校では『みんなの日本語』を使っているけれど、授業中に教科書の本文や例文をすべて順番どおりに説明するわけではない。文法は全部説明されるものの、単語や文型は要点を選んで教え、練習問題も一部を選んで解くだけで、学生は多くの場合、教科書の内容を自分で学ばなければならない。

そうでなければ、あれほど分厚い一冊でも、授業で扱う範囲は本当に限られてしまう。

内容そのものは、以前の独学で一度は学んだものの、身につかなかったことばかりだ。グループ授業の利点は、独学の時よりも聞く機会と口を開く機会が多いことにある。けれど語学は結局、覚えられるか、実際に使えるかがすべてを決める。

それでも、今の私の話す力はまだあまりにもひどい。授業で文を作る時でさえ、頭が真っ白になり、何をでっち上げればいいのかわからなくなることがよくある。

では、お金を払って語学学校へ通うことには、いったい価値があるのか~~

今の段階で評価を下すのは、まだ早すぎると思う。

内容だけを見れば、もちろん台湾にいても、ネットで独学しても学べるし、費用ももっと安く抑えられる。

けれど日本で学ぶことには、やはり日本で学ぶからこその利点がある。日常のインプットが増え、学習への集中力も拡大する。日本へ来た目的そのものが、言葉を学ぶことだからだ。

ただ、自分にもっと使わせる機会を持つことこそが、何よりも重要なのかもしれない。

部屋に閉じこもって猛勉強することは、日本にいる時に使うべき手段ではない。とはいえ、意識して外へ出てMeetupの場を探さなければ、日本語を練習する機会もあまりないように思える。

いっそ、もっと買い物に出て、店員さんに話しかける練習でもする?

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