今日はもともと観光に出かけるつもりで、語学学校の台湾人のクラスメートと一緒にりんくうタウンへ行き、最後の無料開放日を迎え、その後まもなく営業を終える観覧車に乗る予定だった。
けれど、みんなそれぞれに気持ちが萎えてしまい、結局、一緒には出かけないという決断をした。
時差の調整を終え、また吸血鬼のような生活へ戻った私は、空が明るくなる朝六時まで楽しく夜更かしをし、Amazonの返品用の荷物を寮の建物の入口の外へ置いた。日本の治安なら、荷物を盗まれずに済むだろうと期待しながら。
それから私は、ベッドの上で長い眠りについた。
みんなで出かける観光なんて知るものか。生活を体験することなんて知るものか。
とにかく、ゆっくり眠らせてほしい。日本語の宿題も何もかも、目が覚めてから考えればいい!
中伝の執筆は、日本へ来る一週間前から止まっていた。心のなかでは、物語の主人公たちがまだ、私に自分たちの人生を書いてもらうのを待っているのだと、声が絶えず語りかけていた。
そこで私は、長いあいだ開いていなかった創作の原稿を再び開き、あちこちを直しながら、男女の主人公の人生を亀のような速さで先へ進め始めた。
書くという過程によって、私は「並行宇宙」とは何かを深く思い知らされた、と言わなければならない。
時には、主人公や脇役の一言だけで物語の行方が変わる。けれど主人公たちが必ず経験しなければならない人生の大きな転機は、その一言や二言で別の方向へ向かうわけではない。
運命には変えることのできない錨のような地点がある一方で、その細部がどのように現れるのかには、実にさまざまな可能性があるようなものだ。
もしかすると私も、日本の陰陽師にまつわる「言霊」という言葉の呪いに縛られているのかもしれない。
私の物語では、主人公の名前が前伝・中伝・後伝のあいだで移ろっていく。それぞれの物語で人生の細部がわずかに移ろい、前伝・中伝・後伝のなかで、主人公たちが各々に並行した時空を経験しているようなものだからだ。
宿命には逆らえない。けれど細部は、それぞれに調整できる。
寮の小さな部屋に閉じこもり、まだ白い原稿、あるいはすでに文字で埋め尽くされた原稿に向かって、書いたり直したりする。
私が書き、語っているこれらの物語は、必ずしも何か実質的な効果や経済的な利益をもたらすわけではない。
フェイスブックを眺めながら、自分が注目してきた作家が、無名の人から少し名の知られた人へと変わっていくのを見る。
それに比べて、これまでの私の人生は相変わらずひどく目立たず、私の言葉は相変わらずひどく軽い。
自分の創作や目標を守り続けることに、どんな意味や利益があるのだろうか。
それでも、私は運がいいのだと思う。暮らしはまだ、五斗の米のために無理に腰を折ることを私に求めてはいない。物欲を最低限に抑えたまま、落ち着いて余裕を持ち、薪や米や油や塩のために慌ただしく駆けずり回らなくても生きていける。
時には、自分が少し寄生虫のようだと思わずにはいられない。それでも考えてみれば、誰にでもそれぞれの運命がある。
もしかすると、こんな寄生虫の私にも、生態系全体のなかで存在する意味があるのかもしれない。それなら、この人生も無駄ではなかったと言えるのではないだろうか。
合掌して、あらゆる神霊と神々の御加護に感謝する。
無事こそ福。
閉じこもるのも福。

讀者留言