旅の余白

東アジア系の女性が金貨の九の人物となり、大阪の秋の葡萄園に一人で立っている。手には鷹を乗せ、周囲には九枚の金貨が並び、そばには仕事机と語学学校の本、秋刀魚を食べ終えた食事の盆が置かれている

新しいスキル。10月8日

朝からメールや企業情報、互いに連携するAgentのあいだを行き来し、そのあとは語学学校で出席率の規則や関西弁、方言について考える。夜には初めて一人で秋刀魚を丸ごと一尾食べきり、思いがけず人生の新しいスキルを解放した。

朝起きてから、すぐにメールの返信をし、企業情報を探し、資料をAIに渡して分析させ、中国語を話せる日本企業と会議をした。

会議のテーマは本当に私の専門分野ではなかったので、会議はそれほど長く続かなかった。

そして次第に、こんな気もしてきた。以前ドイツにいたときに、あまり多くの返事が来なかったのは、一つには予算設定が低すぎたからかもしれない。もう一つは、国際的な英語人材を抱えている企業の多くが、東京に集まっているからなのかもしれない。

だから、これも人材がどこに吸い寄せられているかという問題なのだろう。

返事がとても早かった業者も一社あったのだけれど、私たちの案件を担当する人は、なんと以前ドイツに留学していた人だった。

ほら、やっぱり。日本ほど国際的な場所で、英語を話せる人が見つからないなんて、あり得ないでしょう! みんな東京へ行ってしまったということ?

とにかく、プロジェクトの分析速度を上げるため、私は別々のアカウントで異なる仕事を立ち上げ、Agent同士を交流させた。

ただ、Agentの管理については、まだもう少し練習が必要なのだと思う。どの仕事をどのAgentに任せたのか、自分でも混乱することがある。

噂に聞いていた、Agentが自分でさらに枝分かれしたAgentを立ち上げて仕事をさせる場面も、初めて目にした。

今日は学校へ行くと、新しい先生に替わっていた。どうやら先生は日替わりの交代制らしい。

この授業のやり方は、私にとってかなり新鮮だった。そうなると語学学校が確保しておかなければならない先生の人数は、ドイツと比べてかなり多いはずだ。

今日の先生は自己紹介のとき、数年前に中国の大学で日本語を教えていて、その後になって日本へ戻ってきたのだと話していた。

今日はクラスに、美男子の学生も現れた。顔立ちも髪型も、まるで漫画の中から出てきたように整えている。

トルコ出身なのだけれど、その顔は漫画に出てくるハーフの美男子にあまりにもよく似ていて、私は反射的に、この人、どこか整形しているのでは……と思ってしまった。

こういう顔は、アジアではきっと人気が出る。ヨーロッパ、あるいは宗教の世俗化が進んでいるトルコのような国では、こんな中性的な特徴を持つ男性は、いじめられる可能性がかなり高いのではないかと思う。

だから、こういう特徴を持つ人が日本へ来ることを選ぶのも、ある意味では当然なのだろうか?

今日の先生は、学校には出席率の基準があることを特に念押しした。出席率が九十パーセント以上の人だけが学校の推薦状を受け取れ、八十パーセントに達した人だけが修了証をもらえる。六十パーセントになると家族へ通知または警告が届き、五十パーセント以下になると入国管理局へ通知され、将来ビザを取得できなくなる可能性があるという。

三日続けて欠席し、先生にもクラスメートにも何も知らせなかった人については、先生が住まいまで訪ねていく。

このような保護者的な発想の管理を聞いて、もう一人のドイツ人と、その隣にいたロシア人の学生がひそひそ話を始めた。

そのロシア人の学生といえば、どうやってロシアから出てきたのか、少し聞きづらくて質問できなかった。

今週の授業は、まだ自分のレベルに合うかどうかを見極める期間にすぎない。クラスが自分に合わないと分かった学生は、クラス変更を申請できる。

そのため先生は、今週はまだ教科書に何も書き込まないよう、わざわざ学生に言い聞かせた。

私は思った。先生、それを言うのは遅すぎます。私は昨日、もう教科書にメモを書いてしまいました。

けれど、私にはクラスを替えるつもりもないので、別に構わない。

学校の説明では、三か月を一期とし、試験に合格すれば次の段階へ進級できるという。

さらに、全課程を通じて試験が何回あるのかも発表された。そして、試験はできても話せない人があまりにも多いため、学校では会話力も強化すると、わざわざ強調していた。

先生の話を聞きながら、私は思わず考えた。それなら日本語能力試験も、いつになったら改革され、口述の部分が導入されるのだろう?

学生がまだ自分のレベルを見極められるようにするためかもしれない。先生は授業中、教科書の課文を完全になぞることはせず、文法の部分だけを使って繰り返し練習しているように感じた。

そのほか、関西弁の授業もあった。

実は私はずっと、関西と関東の違いを「なまり」と表現するのは、あまり正確ではないと思っている。これはそもそも、話すときの抑揚だけの問題ではないからだ。

オーストリア・ドイツ語やスイス・ドイツ語と同じで、基本的には使う単語そのものが違っている。ドイツ国内にも地域ごとの「方言」があり、使う言葉も発音も、それぞれ異なる。

とはいえ、少し恥ずかしい話でもある。私はあれほど長くドイツにいて、フランケン地方にも十年以上住んでいたのに、いまだにフランケン方言をほとんど聞き分けられない。それに、こんな顔をしている私に対して、ドイツ人は基本的に標準ドイツ語しか話さない。

たとえ話の中へ方言の単語をこっそり混ぜていたとしても、その言葉自体が分からなくても意味は理解できてしまう。だから私の耳には、方言を区別する能力が育たなかった。

夕食には、寮から季節の味覚である秋刀魚が出た。私は魚が好きではないので、もともとこの日の夕食を頼んでいなかった。けれど後になって、焼いた秋刀魚なら、実はまだ食べられる。少しチャンスをあげてみようと思い直した。

秋刀魚は、尾のほうを食べるのが好きだ。お腹の苦いところに当たらず、骨も比較的少ない。

この人生で、鮭の切り身以外に、一人で魚を丸ごと一尾食べた経験と回数は、誇張ではなく、指一本で数え終わる。

一人で一尾の魚に向き合っていると、突然こんな切ない気持ちになった。ああ~、大人になったからには、一人きりで、自主的に魚一尾の食べ方を学ばなければならないのだ。

私は魚を開いてみて、骨を慎重に取り除いた。さらに、お腹のあたりにある黒くて、魚の身を苦くする内臓の部分を真剣にこそげ落としながら、技術が下手なせいで身をたくさん無駄にしてしまわないかとも心配していた。

秋刀魚はとても塩辛く、細い骨もたくさんあった。ただ、魚臭さはあまりなかったので、その点では私もかなり食べやすかった。

空になった盆を返したとき、厨房のおばちゃんが私に言った。「魚を食べるの、きれいに上手に食べるね。」

そして手を使い、私がどうやって魚の骨を持ち上げたのか、その仕草を真似した。

私はお礼を言いながら、内心ぎょっとした。これが噂に聞く、おばちゃんの密かな観察術?

ずっと厨房の中で仕事をしていたはずなのに、みんなの食べ方をこっそり観察できるの?

物心がついて以来、自分で丸ごと食べきった初めての秋刀魚だったと話したら、厨房のおばちゃんは信じてくれるだろうか?

けれど、信じてくれる人がいるかどうかにかかわらず、私はこの一文を日本語で言えない。

ははは。

人生の新しいスキルを解放した。

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