今日、代行業者から、寮の契約に関する注意事項へ署名し、返送するよう連絡があった。書類には、代金の授受、入寮と退寮の時期や手続き、契約の更新と解約の条件など、重要な規則が並んでいた。
ところが、署名を終えてから、私は契約書の全体を一度も見ていないのではないかと気づいた。慌てて代行業者に送ってもらえるよう頼んだ。
昨日は一晩かけて、一週間分の旅程を組んだ。自分の手で旅行の計画を立てるのは久しぶりだった。日数を数え、距離や交通手段を調べているうちに、紙とペンを取り出し、似たようなメモを何度も書くことになった。日数も日付も間違えていないと確かめるため、それだけのことに。
夜更かしを続けた脳への影響は、やはり侮れない。
ここ数年、日本へ行くときはいつもレンタカーを借りていた。公共交通機関だけを頼りにする旅では、考えなければならないことがまるで違う。
昨日の作業の続きをしながら、いくつかの日本企業について、また AI に情報を探してもらった。相手に連絡を取り、業務提携の可能性を打診するためだ。
一般的な日本企業が、問い合わせにどれくらいの速さで返事をするのか、私にはよく分からない。ただ、商売には世界共通らしい法則がある。
自社の商品を買ってくれる相手を探す営業メールなら、返事を待つ時間はとりわけ長くなり、結局何の音沙汰もないことが多い。
こちらがお金を払い、供給元を探す問い合わせなら、もう少し早く返事が来るかもしれない。それでもこの数年、日本で取引先候補を探すとき、三社へ送って一社からしか返事が来ないこともあった。業種のせいなのかどうかは分からない。
しかも、届くのはたいてい断りの返事だった。まったく返信がないことも、いつの間にか日常になっていた。
AI の能力が高まるにつれ、日本語のメールを書いてもらうことも当たり前になった。日本語で送れば、返事をもらえる確率が少しは上がるのではないかと期待していた。
そして今日、連絡を取った企業から、最初の返信が届いた。
内容を要約すると、今後の業務では英語を基礎的な共通言語として大量に使う必要があるため、慎重に検討した結果、現時点ではそのような体制を整えられないと判断し、商談を辞退する、というものだった。
ヨーロッパで長く暮らし、仕事の経験も十年以上になる。それでも、言語での意思疎通を理由に協業を断る会社から返事をもらったのは初めてだった。どこか面白くもあり、いかにも日本企業らしい理由だと思った。
少なくとも、言葉の隔たりを理由に、最初からプロジェクトはすり合わせられないと判断する会社の話を、私はこれまで聞いたことがなかった。
もちろん、国や文化をまたぐ仕事のなかで、文化や言葉の違いが食い違いを生み、実行段階で痛い思いをすることは否定できない。
ただ、私の経験では、ヨーロッパ企業の意思決定者が案件を評価するとき、文化や言語の違いを最優先に置くことはあまりない。
もっとも、日本企業の細やかさと慎重さを考えれば、別の可能性も捨てきれない。単に外国企業と仕事をしたくなかったので、この理由を選び、礼を尽くした手紙で丁寧に遺憾の意を伝えたのかもしれない。
ドイツ人の英語力は、ヨーロッパのなかでもおおむね上位に入る。けれど、二十年以上前、さらには十数年前まで、外国人が自然で流暢な、ほとんど「完璧」と呼べるドイツ語を話せなければ、表には出さない苛立ちを向けられることがよくあった。訛りが強い、発音が正しくないと、面と向かって言われることさえあった。
ここ十年ほど、多くの移民や難民がドイツ社会へ入ってきたことも、変化の一因なのかもしれない。少なくとも私の感覚では、外国人のドイツ語に対する期待は、「完璧でなければならない」から、「外国人がドイツ語を話しているだけでもすごい」へと、少しずつ変わってきたように思う。
私は日本で暮らしたことがないので、日本社会が外国人の日本語にどの程度を求めるのかは分からない。ただ、今日の断りの手紙を見るかぎり、少なくともこの会社が自社の外国語運用能力に課す基準は、確かに高かった。
ドイツ文化の「率直さ」は、ヨーロッパのなかでも指折りだ。そのため、ドイツ人は多くのヨーロッパの国で「無礼だ」という印象を持たれている。遠慮のない物言いは、相手が耐えられるかどうかなど、まるで気にかけない。
だからこそ、ドイツで長く暮らしたあと、アジアへ戻るたび、とりわけ日本へ行くときには、自分が大きな熊になったような気がする。ただ歩くだけで、隣にある花瓶をいつ倒してもおかしくない。無作法で、注意が足りず、思いやりも繊細さもなく、ほとんど野蛮だ。
日本で長く暮らすと、息苦しくなりやすいと言う人は多い。その感覚は、私にもよく分かるし、想像もできる。
以前、台湾で暮らしていたころでさえ、息ができないと感じることが何度もあった。まして日本なら、どうなるのだろう。
それでも、私は知りたい。ドイツと「形は似ていても、心は似ていない」日本という国の、本当の姿はどのようなものなのか。
よい経験でも、悪い経験でも、そこから成長し、教訓を得られるのなら、すべては人生の糧になる。

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