日本行きの便はかなり空いていた。けれど、あの見知らぬ中年男性のせいで、横になって眠る計画は台無しになった。仕方なく狭い空間で窮屈な姿勢のまま眠ろうとする。その男性は座席でいびきをかいていた。
関西空港に着陸すると、私は休む間もなく入国審査へ向かって突進した。記憶の中の関西空港は人であふれていて、列に一時間以上並ぶこともあった。
足早に進み、立ち止まることもなく入国者を振り分ける場所まで駆け込んだ。以前の改修工事は終わっていた。今も手書きの入国カードを受け付けているため、入国審査の手前で、QRコードを持っている人と手書きのカードを持っている人に分けられる。
オンラインで事前登録を済ませた人は機械へ案内され、そこで「チェックイン」し、パスポートを読み取り、指紋を登録して写真を撮る。そのあと、おそらく一人ずつランダムにA、B、C、Dのグループへ振り分けられ、有人の審査窓口へ案内される。
有人の入国審査窓口には、どのグループを受け付けるかが表示されている。審査官はパスポートの偽造防止部分を詳しく確認し、そのあと上陸許可のシールを貼った。あるかもしれないと思っていた質問も、短期留学の目的についての確認も、結局まったくなかった。簡単に挨拶を交わしただけで、私は正式に日本の地を踏んだ。そのとき、手荷物受取所のモニターには、まだ荷物を搬送中だと表示されていた。受取所は本当に人でいっぱいだった。
まだかなり待つのだろうと思った。フランクフルトでは、荷物が出てくるまで三十分から一時間待つこともある。私は時計を見ながら、予約した列車が到着するまであと一時間ほどだと計算した。予定の列車には間に合うはずだろうか。
ところが次の瞬間、私の荷物がもうベルトの上にきれいに置かれているのが見えた。どの荷物も整然と横向きに寝かされている。ヨーロッパの多くの空港で、荷物が自動ベルトの上に乱雑に転がり、出口から出てくるときにほかの荷物へぶつかったり、ターンテーブルの壁へ重く落ちたりする光景とは、まるで違っていた。
列車に間に合わせたかったので、じっくり眺めている暇はなかった。荷物を受け取ってカートに載せ、有人の税関検査へ向かった。
ここで、入国の機械でもらったグループ分けが役に立つ。全員が、自分に割り当てられたグループに対応するゲートへ進まなければならない。自分がA、B、C、Dのどれだったか忘れてしまっても、顔認証付きの大きな監視モニターが画面上で顔を示し、矢印でどのグループかを教えてくれる。
中国が推し進め、徹底して実装してきた顔認証技術。この手法も、いつか世界中のあらゆる保安機関や施設へ広がっていくのだろうか。
第1ターミナルの到着ロビーは細長く、それほど広くなかった。一周してもATMが見つからず、もういいや、市街地へ着いてからお金を下ろせばいい、それまでは現金を使う場面もないだろうと思い、カートを押して鉄道駅へ向かった。
意外にも、第1ターミナルだったからだろうか、鉄道駅にはすぐ着いた。切符は事前に買ってあり、eSIMもすでに有効にしていた。QRコードを呼び出し、かざすだけでそのまま改札を通れた。
空港を出るのが予定より丸々一時間近く早かったことに気づいた。なんてこと、もう駅にいる! 次の列車はあと十数分で来る。予約を変更するか、それとも五十分待って予定どおりの列車に乗るか。
もう、どうにでもなれ! 予約に使ったアプリを開くと、本当に何の苦労もなく列車も指定席も変更できた。わざわざ有人窓口へ行く必要もない。うれしくてたまらなかった。列車が入ってくる八分前に、私は三十分を節約した。そのあと三分を使って、一番線と二番線のどちらに並ぶのか、車両番号はいったいどこに書いてあるのかと迷った。
大阪は予想していたより暑かった。車内へ入るとすぐ、ひんやりした冷房に包まれ、窓の外に並ぶ小さくてミニチュアのような家を眺めた。
ああ、日本、日本。今度の私は、ここに住んでいるふりをしに来たのだ。
この旅で私は、二十三キロの大きなスーツケースと、十四キロの機内持ち込み用スーツケース、それに七キロのリュックを持ってきた。スーツケースの車輪は滑らかに動くけれど、重さのせいなのか、点字ブロックに当たるたびに少し引っかかる。難波駅から地下鉄までも距離がある。荷物を押して上がったり下りたり、右を見たり左を見たりしているうちに、汗が止まらなくなった。
そのときになって初めて、夫があとで日本へ会いに来るとき、なぜ空港まで迎えに来てほしいと言ったのかを思い出した。夫だって飛行機には乗り慣れている。空港から市内までの移動くらい、自分で何とかできないはずがない。それに私はまだ語学学校の時間割も知らず、空港まで迎えに行けるとは約束できない。これは夫が私に甘えているのだろうか。
難波駅から地下鉄へ続く地下通路を歩いているうちに、私は突然、夫の「先回りしたパニック」を理解した。どの案内板も、いちばん目立つのは漢字と仮名ばかりなのだ!
寮の住所へ着く前に、私はもう正しい建物に来たと思い込んだ。管理された入口の造り、建物の外に貼られた部屋の案内、管理組合という文字、料金。どれもウェブサイトで見た情報に似ているのに、管理室が見つからない。ぐずぐずしてはいられず、Rakuten Viberのクレジットを買って管理室へ電話した。
ところが管理室の人は英語を話せず、長いこと話がかみ合わなかった。慌てて留学エージェントへメッセージを送った。Googleマップが示した場所にいるのは間違いない。しかも日本では建物に番地が掲げられておらず、違う番号へ来てしまったのかどうか、まったく確かめようがなかった。
二〇二六年九月三十日の午後、大阪はかなり暑かった。私の心は宙を漂っていた。
私はもう一度、荷物を押して少しだけ来た道を戻ってみた。すると突然、あるビルの駐車場に、細長い階段が見えた。そこには宿泊先の名前が書かれていた。
ようやく着いた、と私は胸をいっぱいにして思った。
ただ、睡眠不足で疲れ切った体で、二十三キロの大きなスーツケースを担ぐのは本当に、本当にきつかった。この区間にはエレベーターがなかった。地下鉄で乗り換えたときも、エレベーターのない出入口がいくつもあった。
帰るときは、絶対にタクシーで空港へ直行しよう。
よかった。やっと着いた。そして、ものすごく疲れた。

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