旅の余白

雨上がりの夕暮れ、赤と藍の衣をまとった旅人が片足を水に、もう片方を石畳に置き、二つだけの金の杯の間に光を注ぎ、背後の道は教会、モスク、日本の寺院を通って山あいへ続いている

節制。9.20

暖かな布団、日本語、荷造り、異国の寮の記憶を行き来した思考は、やがて宗教が人の脆さを支える力と、他者を排除する力の両方へたどり着く。

今日は気温が下がり、布団がますます柔らかく心地よく感じられた。潜り込んでしまうと、どうしても起き上がりたくない。

私はいつも二つの極端の間で揺れている。日本へ行く前に、もっと積極的に日本語を勉強するべきか。それとも、日本に着いてから本気で学び始めればいいのか。

年齢を重ねるにつれ、異なる課題や仕事の間を柔軟に切り替えることが、ますます難しくなってきた。

仕事の内容が変わるたび、いわゆる「フロー」の状態に本当に入るまでには、それぞれ違った助走の時間が必要になる。

いったんその状態に入ると、気を散らされたり中断されたりするのがひどく嫌になる。途切れる前の感覚に戻るのが、とても難しいからだ。

毎日少しずつ積み重ね、一つのことを続けるのは、昔から私にとって難しいことだった。

「日本へ行くまで、毎日一篇の記録を書く」と自分に課した目標も、やはりなかなか容易ではない。

先週からは、蟻のように荷造りする方法も始めた。寮生活で使いそうな小さな日用品を、少しずつ荷物に加えていく。

ウェブサイトには、共同キッチンがあるのか、共用の掃除道具を使えるのか、はっきり書かれていない。

それで思い出したのが、留学生として上海へ行ったときのことだ。あのときも、キャンパス内の大学院生寮に申し込んだ。

上海の多くの大学では、留学生と国内学生に用意される住環境が異なる。全体として、外国人大学院生は一人で一室を使えたが、国内学生の寮ではルームメイトと暮らすことになっていた。

上海の寮へ引っ越して、最初にしたことは、大学近くの小さな雑貨店で箒とちり取りを買うことだった。その瞬間、自分は本当はホグワーツへ入学しに来たのではないかという気がした。

授業が始まる前に、まず自分のために箒を買わなければならない。まったくもって幻想的だった。この経験は、日本でも繰り返されるのだろうか。

上海の学生寮へ入った日、激しい雨が降ったことも覚えている。猛烈な雨は一、二時間続いた。寮を出ると、キャンパスのあちこちの道が水に覆われ、排水口を見つけられない大量の雨水が、花壇らしきものの縁を伝い、ざあざあと低いほうへ流れていた。

当時の私には、それも大きな衝撃だった。たった一度の豪雨でキャンパスに水がたまる光景など、もう何年も見ていなかったからだ。

上海の学生寮も広くはなかった。ベッドが一つ、机が一つ、箪笥が一つ。ただそれだけで、スーツケースを置く場所さえ、ほとんどなかった。

背の高い箪笥はベッドの横、ちょうどエアコンの真下にあった。上海も冬になると寒く、暖房が必要になる。スイッチを入れたのに、部屋の中では凍えそうなほど寒かった。

原因は、エアコンの真下にある箪笥が、吹き出した暖気をすべて上でせき止めていたことだった。

おかげで基礎物理を身をもって復習することになった。暖かい空気は上昇し、冷たい空気は下降する。

力のある男子学生に頼んで箪笥を動かしてもらうと、ようやく部屋全体の空気が巡り始めた。寮の部屋で寒さに震え続ける必要も、やっとなくなった。

上海のキャンパスでとりわけ印象に残っているのは、中規模から大規模の敷地に、七つか八つもの食堂が点在していたことだ。それぞれに独自の料理と特色があり、食事時になるとどこも人であふれ、席を見つけられないことも珍しくなかった。その大学には、ハラール料理だけを作る食堂もあった。

ドイツでも台湾でも、学生や教職員のためにハラール料理を専門に出す学食を、私は一度も見たことがなかった。ある意味では、中国に多くのムスリムが暮らしていることの表れだったのかもしれない。当時、比較的親しかった学生の一人はバングラデシュ出身で、彼もムスリムだった。

けれど彼は、ハラール食堂の料理はおいしくないし、油っこいことが多いと言っていた。それで電磁調理器を買い、部屋で自炊していた。食堂で食べるより、そのほうが安く済んだという。

彼と知り合ったとき、二十年以上前、ドイツの語学学校で初めて友人になった人を思い出した。その人もムスリムで、トルコの出身だった。

私はイスラム教についてほとんど何も知らない。けれどヨーロッパの公的な議論では、ムスリムが過激主義者とほとんど自動的に結びつけられることがある。

ところが、私が実際に知っている二人のムスリムは、どちらも穏やかな人だった。少し酒を飲むことさえあり、女性に対しても少しも無礼ではなかった。

日々の付き合いの中で、彼らの宗教上の決まりは、私にはむしろ、菜食や卵乳菜食、あるいは料理から肉だけを避ける人たちの食事上の決まりに近く感じられた。二人からは、極端さなどほんのわずかも感じなかった。

トルコは、世俗化したムスリム社会の代表例として語られることが多い。バングラデシュの事情について、私はそれほど詳しくない。ただ、あの国の宗教と政治の関係も、世俗化か原理主義かという単純な区分では捉えられないように思う。

現在のヨーロッパには、ムスリムへの恐怖が満ちている。ムスリムが日本社会を「侵略」しているという話や、日本が目に見えない形でムスリムを排除しているというニュースを、時おり耳にすることもある。

さらに考えるのは、中国に暮らす多くのウイグル人が、反テロリズムの語りの中でテロリストというレッテルを貼られてきたことだ。

それでも、私が知っている二人を振り返る。統計的な代表性などまったくない、二人のムスリムの同級生を。

宗教が個人の心の追求ではなくなり、外に向けて押しつける教条へ変わったとき、どれほど美しく、善良で、神聖な神であっても変質してしまう。私は心からそう思う。

宗教は人間の脆さを支えることができる。それと同時に、人を強固にし、すべてを顧みず異質な者を排除させることもできる。

宗教という、この両刃の剣。慎まなければならない。

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